つづきです。
映像の特設コーナーがありました。
原版は奈良の国立博物館にあるそうです。
日本の仏教と中国の関りが密接だったことが解ります。
建仁寺の碑文。
建仁寺内の≪榮西禅師の茶碑≫
寧波と日韓の文化的交流。
日本人僧の最澄と空海が茶葉(茶の種)を日本に持ち帰った。
南宋の時期、栄西は≪喫茶養生記≫を書き、日本の茶道文化は寧波の影響下で発展形成されていった。
その他、餘姚人の朱舜水は中国の儀礼制度、建築造営、農業園芸から服飾等を日本に赴き紹介した。
天童寺、別名「東南佛國」、歴史上最も多くの日本人僧が禅を学んだ、中外の仏教文化の交流に重要な役割を果たした。
栄西、日本人僧、南宋年間天童寺で禅を五年間学ぶ、中国仏教の臨済宗を日本に伝える。
道元、日本人僧、南宋年間、天童寺に入り仏法を学ぶ、帰国後日本の曹洞宗大本山永平寺を作り、天童寺はその源流である。
蘭渓道隆、天童寺の名僧、南宋年間日本に渡り、最初に日本に禅を伝えた中国の禅僧。
無学祖元、鄧県の僧、1279年日本に赴き禅宗を広める、彼の伝えた「仏光派」は禅宗で日本に最も影響を与えた。
奈良東大寺の南大門は、和卿(南宋年間の仏像彫刻家)の主導で再建された。
南宋年間、北宋の浙東仏教建築が日本に伝わり、鎌倉時代の新建築様式となり、「天竺様式」或いは「大仏様式」と呼ばれている。
奈良の国立博物館に所蔵されている、中国の仏画。
本日は固い話題になってしまいました、原文からの翻訳ですので見方が中国寄りになっています。
つづく
花襲人
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