つづきです。
傀儡歳月、正に満洲国の始まりです。
1932年9月15日、偽満州国国務院総理鄭孝と関東軍司令官兼駐滿特任全権大使武藤信義による勤民楼での「日滿議定書」調印式。
1934年3月1日、溥儀は光緒皇帝の服装で新京南郊外の「天壇」で旧式の即位式を行った。
偽満州国皇帝溥儀は「満洲帝国陸海軍大元帥の正装」で日本関東軍司令官菱刈隆と勤民楼の前で写真を撮る。
「満州事変」後、国際連盟はリットン調査団を中国に送り調査を始める。1932年5月4日、溥儀は偽満州国皇宮の勤民楼で調査団に「私は満洲民衆の擁護で満洲に来た、私の国家は完全に自由自在だ」と述べた。
「帝室御用頭」として派遣された吉岡安直、日本の陸軍士官学校の教官でした。
溥傑と嵯峨浩さんの結婚を伝える日本の記事。
1934年に建てられ始めた偽満州国国務院。
一々偽と付けるところが中華圏の見方なのか・・・
偽満州協和会会員章。
初めての訪日期間、溥儀は靖国神社を参拝し、明治維新以来何度かの中国侵略戦争中に戦死した日本兵の鎮魂を祈った。
二回目の訪日後、溥儀は日本から天照大神の神器を持ち帰り、新京の駅に着いた時の写真。
最初の訪日期間、溥儀と昭和天皇は御一緒に代々木練兵場での閲兵式に出席した。
偽満州皇宮の東南角に建てられた建国神社、偽満州が崩れた後すぐに焼かれた。
大量の食料が吉林駅に運ばれ、日本軍の物資となった。
1945年8月8日、ソ連が日本へ宣戦布告、中国東北部の日本軍へ侵攻していった。
1945年8月17日、溥儀は写真の家の部屋で三度目の「退位勅書」を書いた。
1945年8月19日、溥儀は日本ににげる途中瀋陽飛行場でソ連軍に拿捕される。図はソ連軍と日本が溥儀を飛行機に乗せるか乗せないかで交渉している情景。
展示室には満州国のお札や貨幣、勲章などとても興味深い物が展示されていました。