つづきです。
宣統皇帝から紫禁城脱出、満洲国成立以前の時代です。
溥儀の英語教師ジョンストン、この方は後に「紫禁城の黄昏」という本を執筆していますが、紫禁城内での溥儀の様子が判るとても興味深い本です、ご興味のある方は是非読んでみて下さい。
1924年ジョンストンの計らいでインド人の詩人と庭で接見する溥儀。
溥儀と両名の教育係の写真。
紫禁城での軟禁生活中一応皇帝の座に戻った溥儀。
溥儀の結婚祝いに紫禁城へ訪れる清時代のお偉いさんを門外で警備する民国政府の警備係。
婚礼衣装を着た皇后の婉容と妃の分繍。
溥儀の結婚衣装。
この部屋には皇帝の衣装も飾られていました、黄色地に豪華な五本爪の龍の、それはそれは豪華な御衣装でした。
婚礼当日、溥儀と皇后が海外からの賓客に接見しているところです。
宣統時代のおめでたい柄の陶磁器。
宣統時代の陶磁器裏面の刻印各種。
1925年2月溥儀は天津の日本租界の張園に住み行政を行いながら海外の公使や軍関係者と合い西洋各国の支持を取り付けようとしていた。
溥儀と皇后が誕生日祝いに来た海外の客との接見場面。
1929年7月、来訪者との写真。
溥儀夫妻がカナダの大統領に接見。
溥儀がイタリアへ閲兵に赴いた時の写真。
溥儀が海外からの賓客と接見。
溥儀と日本軍天津司令官香椎浩平中将の写真。
溥儀夫妻と日本駐屯軍司令官小泉六一中将との面会写真。
天津時代の溥儀夫妻。
天津、張園での溥儀家族。
天津時代に使っていた眼鏡やステレオや冷蔵庫も展示されていました。
1924年11月29日、溥儀は北京の日本公使館へと居を移す。
写真は溥儀と日本兵営の竹本多吉大佐。
1929年、溥儀と日本へ留学する溥傑と潤麒との写真。
1931年11月2日夜、溥儀一行は日本の商船淡路丸で中国東北部を脱出。
1932年2月16日、日本の関東軍と東北部四巨頭が瀋陽で開いた「建国会議」。
1932年2月9日、日本人の画策の下「建国促進運動大会」の代表が、関東軍司令部に関東軍への建国協力を自ら求めに行った情景。
激動の時代へとつづく。。。
花襲人
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